デニムの浪漫

デニムの浪漫

夢と共に大西洋を渡った生地。

デニム

陽光がオペラのような賛歌を振りまく。
風が鳥のような飛翔を誘う。
人々の歓声と笑顔が弾け、船はゆっくりとヨーロッパの岸を離れゆく。

一路、新天地アメリカを目指して――。

その夢と共にデニムも行く。
数え切れぬほどの希望を、その粗く温もりのある生地のひと織りに込めて。

やがてそのブルーは海と同化し、さざ波のように世界へと駆け、年齢も性別も時代をも越えて、人々を魅了し続ける。

今も、未来も――。

デニムの故郷である南フランスの街“ニーム”

デニム

デニムの故郷、南フランスのラングドック地方に位置する街、ニーム。
昔から水に恵まれた土地で、街の名前の意味も「南の泉」を意味しています。

農作物に適した地味豊かな平野。パリやリヨンなどの都市に通じる街路を持ち、地中海へと続く道を持っていたこの街は、経済的な発展を見せ、15世紀の興った繊維工業と結びつき、さらなる発展を遂げました。

18世紀になると街には織物学校も作られ、やがて産業革命の余波が伝わると、染織工程ばかりではなく、織りの工程にも分業制ができ、生産量はぐんと高まりました。

やがてニームは織物の街として栄え、その織物は、地元の市だけではなく、ついには新世界であるアメリカへ至るようになります。

アメリカへの輸出品であるブラックタイやカシミアのショールなどの商品に交じっていたのが、当時、ニームの市民が普段着にしていたサージ織りと呼ばれる粗い生地で、これが現在のデニムの原型だと言われています。

サージ織りがド・ニームへ、そしてデニムが生まれた。

デニム

ニーム市の博物館には、19世紀初頭の女性用の上着が残されていますが、それを見ると、インディゴブルーに染められた糸を表側に、無染色の糸を裏側に使って菱形模様を織り出したサージ生地で、それはまさにデニムそのもの。

このニーム産の綾織り生地を指す「サージ・ド・ニーム」の、産地を示す「ド・ニーム」が一人歩きして、デニムと呼ばれるようになったのです。

かつてのニームでは、毎日のように織物マーケットが開かれ、仲介業者が集めた品物を、ローヌ河に通じる運河で待ち受けている船に積み込んでジェノバへ送り出していました。

そしてジェノバ港からは大型の貨物船が仕立てられ、アメリカへ向けて、デニムは新天地へと向かう沢山の人々の夢と共に船出して行ったのです。

デニムが着るだけで人の心を弾ませるのは、そんなドラマが秘められているせいなのかも知れません。