日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」

日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」は「作務衣の専門館『伝統芸術を着る会』」によって運営されているウェブサイトです。
カタログ和服こぼれ話

近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(2)

江戸末期から明治初期にかけて活躍した近江商人のルーツは、織田・豊臣時代にまでさかのぼる。



天下統一をめざした織田信長は、商業の振興を図るため、誰でも自由に商売のできる「楽市楽座」を定めた。



近江八幡と五個荘のほぼ中間に位置する安土に築城した信長は、安土城下にも楽市の制を定めたため、各地の商人が集まり、商業が盛んになった。



しかし、本能寺の変で信長が倒れるや、安土の商人たちは、新たに豊臣秀吉が築城した近江八幡に移った。秀次も商業振興に力を注いだため、近江八幡は自由商業都市として大いに栄えた。



しかし、それもつかの間、秀次が秀吉の怒りをかって天正19年(1591年)清洲に移封され、代わって入城した京極高次もわずか5年で大津へ移り、近江八幡は城下町としての機能を失ってしまった。



残された商人たちは、近江八幡だけでは商売にならず、やむなく天秤棒をかついで諸国へ行商に旅立つこととなった。これが、いわゆる「近江商人」の起こりである。


トラックバック (1) -
この記事のトラックバックURL

トラックバック
古今チップス
八幡城:  24日、八幡山城遺跡(滋賀県近江八幡市)で、築城時の石垣と15世紀の石積みが発見された。  石積みは築城時に移転した成就寺(現願成就寺)跡と思われる。[中日新聞] ● 八幡城(はちまんじょう)・八幡山城(はち...
2006/02/28 13:01
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。 もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.

コメント

まだコメントはありません。

コメントを投稿する
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。