日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」

日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」は「作務衣の専門館『伝統芸術を着る会』」によって運営されているウェブサイトです。
カタログ和服こぼれ話

藍・LOVE・STORY(6)


五十年ぶりに復活『藍の初染めの儀式』

その2・復活した「藍の初染めの儀式」




私の先祖が藍染屋であったこともあって、不肖、私が五十年振りに、この「藍の初染めの儀式」を復活させていただきました。



文献によると、昔の「藍の初染めの儀式」の日には、日頃、藍染の布を織ってくれる農家のお嫁さんたちの労をねぎらい、甘酒をふるまったとあります。そして、その日は、みんなお休みです。



今は、正月の七日に「藍の初染めの儀式」をみんなでやっております。復活してから、もう八年になりますかね…。



でも、今年の一月七日は、大変なことになってしまいました。そう、昭和天皇の崩御の日とぶつかってしまったのです。



で、関係者のみなさんから問い合わせの電話がジャンジャン入りまして「どうなんだ。今年はどうするんだ。やれるのか?」という訳です。



で、私も困りまして、神主に相談したところ「拍手を打たなければ大丈夫」というのです。それで、例年通り「藍の初染めの儀式」を行いました。



玉ぐしを奉納して、祝詞を上げ、儀式はとどこおりなく終了しました。



熊井さん・談終了



さすが、藍を愛して止まない熊井社長。藍のルーツはもちろん、藍に関する造詣の深さには舌を巻いた。

そして、ご先祖の縁とは言え、五十年振りに「藍の初染めの儀式」を復活させた熊井社長に、藍にかける男の心意気を見た。
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カタログ和服こぼれ話

藍・LOVE・STORY(5)


五十年ぶりに復活『藍の初染めの儀式』

その1・愛染明王と藍染の儀式




この先に「愛染明王(あいぜんみょうおう)」という仏閣がありまして、私たちはいつも「愛染さま、愛染さま」と呼んでいます。



この愛染明王を、江戸時代から明治の末まで、毎年1月26日に参拝する儀式がありました。



この日は、江戸の染めもの屋を始めとして、藍問屋、藍染屋、藍の栽培農家、藍染を織る人たちがみ~んな集まって、「愛染明王」に感謝と祈願を捧げるのです。



この愛染明王におまいりすることを「愛染講」といいまして、参拝が終わると人々は帰りに熊谷で山おろし(今でいう精進落とし)をした訳です。

これが熊谷遊郭の始まりだといわれています。



この愛染講とは別に、毎年正月2日に「藍の初染めの儀式」がありました。



この儀式は、正月に初商いされる藍玉を藍ガメに入れて発行させ、この中に紙を入れて染めたものを神(これも結局愛染明王なのですが)に奉納するものです。



そして去年一年間の感謝をささげると共に、新たな年の藍染めがうまく染まりますようにと祈願する訳です。



しかし、この藍の初染めの儀式も、藍染の衰退と共に、ずっと途絶えていました。

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カタログ和服こぼれ話

藍・LOVE・STORY(4)


藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情

その4・余談「渋沢栄一・高崎城焼打ち計画」




余談ですが、熊谷の先に、「深谷」という市がありまして、昔は藍の産地として広く知られていました。で、この深谷に、渋沢家という藍問屋があったのですが、この渋沢家は、かの渋沢栄一翁の実家でした。



渋沢栄一は、血気盛んな20歳位の時、近隣の若者を扇動して、高崎城の焼打ちを計画しました。焼打ちを成功させるためには、武器がいる。



そこで渋沢栄一は、武器を調達するため、実家の藍問屋からかなりのお金をくすねました。その金額が、今のお金にして10億は下らないだろうと言われています。



それで、渋沢栄一が実家から持ち出した大金を、渋沢家の会計係は2年間気付かなかったというのです。会計係がボーッとしていたのか、お金がありすぎて気付かなかったのかは分かりませんが…。



こうして横浜まで武器を調達しに出かけた渋沢栄一でしたが、運悪くこれが幕府に発覚してしまいました。

窮した渋沢栄一は、京都の一橋家へ逃げ込んだ。一橋家といえば、十五代将軍・徳川慶喜でも分かるように、れっきとした徳川将軍家。幕府そのものな訳です。



つまり、渋沢栄一は、幕府に追われて幕府のふところに飛び込んだ。このあたりが、渋沢栄一の発想のすごさですね。

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藍・LOVE・STORY(3)


藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情

その3・藍問屋と藍染屋




一方、農家が栽培した藍を買い集めるのが「藍問屋」といわれる製造問屋です。この藍問屋は、藍を買い集めるだけでなく、藍を発行させて藍玉をつくります。この藍玉をつくるには、高度なノウ・ハウが要ったのです。



つまり、藍問屋は、買い集めた藍に、発行技術というものすごい付加価値をつけて、藍染屋に藍玉を売っていたのです。



藍問屋というのは、貧乏な藍染屋にお金も貸していました。つまり、金融業も兼ねていたのです。



なぜ、藍染屋は貧乏か?それは、藍染というのは、非常に手間・ヒマかかるもので、染めるだけでも最低10回は染める。手間・ヒマかかる割りに、実入りは少ない。だから、貧乏な訳です。



ま、藍問屋を、今のお笑い界の雄・吉本興業に例えると、藍染屋はさしずめ芸を売るお笑いタレントといったところですか…。



で、ご多分にもれず私の祖先は、貧乏な藍染屋だった訳です。

それでも、やはりニーズがあったんでしょうね。明治の初めには、武州の藍染屋が七百軒もあったと言われています。今は、わずか四軒ですけど…。
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カタログ和服こぼれ話

藍・LOVE・STORY(2)


藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情

その2・江戸の藍染市




ここ行田・羽生を中心とする埼玉県北部地域は、江戸時代に綿の一大産地でした。そして、行田から4km程行った利根川流域では、藍が盛んに栽培されていました。



この綿と藍が結びついて始まったのが武州藍染の起こりだと言われています。



ちなみに、田山花袋の「田舎教師」という小説の一節に「四里の道は遠かった。途中に青縞の市の立つ羽生の町があった。」というくだりがあるのですが、武州藍の市のことなんです。



江戸時代から明治にかけて、羽生は8の日、行田は6の日、騎西(きさい)は7の日などと決められ、藍染織物の市が立っていました。



で、この藍染の織物ですが、農家が糸を買って藍染屋(紺屋:こうや)に染めてもらい、これを農閑期や夜なべ仕事で織った訳です。そして織り上がると、青縞の市に出す。



これを買う商人がいまして(これを「縞買い」という)、買った青縞で足袋をつくった。これが、いわゆる行田足袋の発祥ですよ。
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カタログ和服こぼれ話

藍・LOVE・STORY(1)


藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情

その1・藍染のはじまり




稲荷山古墳にほど近い埼玉県行田市持田に、武州本藍染めの技術と伝統を守り続ける(株)熊井の本社がある。ここ行田市は、隣の羽生市と並んで、江戸時代から明治末期まで隆盛を誇った武州本藍染めの本拠地ともいうべき土地柄だ。



(株)熊井の熊井信人社長は、婦人服・子供の縫製業を営んできたが、ひょんなことから藍染を手がけることになる。今では、藍なしでは夜も日も明けない毎日である。

これは、藍にこだわり、藍を愛す幸せな一人の男の物語だ。



熊井さん・談



実は、藍染というのは、いつ・誰が・どこで発見したのかよく分かっていないのです。今から、三千年前という説があるにはあるのですが…。



誰かがたまたま、植物藍を土の中に入れていた。そこに雨が降って、雨水がたまった。そしたら、これが発行した。で、その液の中に布を入れてみたら、キレイな藍色に染まった。どうも、これが藍染の起こりらしいんですね。



で、場所的には、インドネシアとかインドあたりが、植物藍のルーツらしい。これがタイやカンボジアに伝わり、さらに中国南部の広東や福建に入った。そして、台湾を経由して奄美大島に渡来し、九州から日本に上陸して、江戸時代の始めに普及したといわれています。



一方、江戸時代に、綿の栽培が始まっているんですね。綿は、当初は高級品だった。それが普及するにつれて、庶民のものになった訳です。



で、この植物藍と綿がドッキングして、日本の藍染になった、綿が一番、藍になじみがいいというか、染まりいいんですね。

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95~96年の作務衣 , 袴&和服アンサンブル

行灯袴・上下組 野袴・生成と縹


「行灯」と呼ばれる様式を踏まえた袴上下。こんな時代だからこそ装ってみたい一着。



“袴”へのご関心が高いようです。

野袴や、作務衣と袴のアンサンブルがあるのなら、きちんとした袴の様式も揃えて欲しいとの声が湧出。このご期待に応えて「袴上下組」の登場です。



本袴と申しますか、いわゆる様式を踏まえた袴の上下。俗に「行灯袴」と呼ばれる形で仕立てました。



写真ではちょっと分かりにくいかも知れませんが、紗とも絽ともつかぬ独特の透明感がいかにも涼しげ。和装業界でも多くは見られない、春夏用の袴上下組です。



にじみ出る風格や日本人らしさが何とも新鮮。こんな時代だからこそ、装ってみたい一着です。



こちらは、藍染の彩り開発(藍墨)過程で蘇った「野袴」の様式。

一点は藍染好きにはたまらない「縹(はなだ)」、そしてもう一つは思い切って、綿素材の「生成(きなり)」。

何気なくご紹介していますが、いずれも結構インパクトの強い作品として仕上がっています。



本格的な「袴」と「作務衣」の中間に位置するようなこの様式は、なかなかに個性的。見る人に強い印象を与えることでしょう。

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95~96年の作務衣 , 袴&和服アンサンブル

正藍染高機能 作務袴(しょうあいぞめこうきのう さむばかま)


作務を行うお坊様の声にお応えして開発した「作務袴」、お寺様に受け入れられるかどうか心配していましたが、杞憂でした。作務衣と改良衣の中間に位置するような装いが必要な方は、意外と多かった――ということのようです。



ご覧のように、簡素な仕立ての袴はなんとも機能的。目には、彩りも鮮やかな正藍染「水縹」と落ち着いた色感の「縹」の二色。さらに、いずれにも水を弾く撥水加工を施しました。あると重宝する一着です。
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93~94年の作務衣 , 袴&和服アンサンブル

馬乗り袴 伽羅茶と銀鼠 行灯袴 伽羅茶と銀鼠


黒によし…茶にもよし…そして紺の改良衣にもさらによし…



改良衣とは、お坊様がお召しになる、作務衣のルーツとも言える衣です。



当会では、お坊様のご意見を採り入れ、改良衣の開発も行っております。そのお声により、この二点の袴も開発いたしました。



襠(まち)と相引を高くして、ひだを深く仕立てた「馬乗り袴」と、襠がなく両足に分かれていない「行灯袴」の二点です。






いずれも、タテ糸に絹、ヨコ糸にウールを使ったシルクウール仕立て。絹の輝きとウールの暖かさが得られ、はきやすさも格別です。



色は、いずれも二色揃え。

「銀鼠」は、墨五彩の“淡”にあたる鼠色で、またの名を“錫色(すずいろ)”とも呼ばれる気高い彩りです。

「伽羅茶」は、インド地方に産する沈香木(じんこうぼく)に因んだ暗い黄褐色の茶で、江戸中期に人気を博した彩りです。




二彩とも改良衣に合わせるにふさわしい気品と格調を持った色合いですが、特に「銀鼠」は、黒、茶、紺系の改良衣のいずれにも見事に調和します。

もちろん、「伽羅茶」の方も、袴の色としては定評のあるところ。お好みに合わせてお選び下さい。

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袴&和服アンサンブル , 93~94年の作務衣

武州正藍染 石塚野袴


「このところ少し軟弱な方向性を感じていただけに、この憲法黒の開発には快哉を叫んだ。まさに剛毅にして端正、やはり作務衣はこうあって欲しい…と考えるのは私だけであろうか」

こんなお便りを目にすると、本当に作務衣づくりをやっていて良かったと思うものです。合わせて世に問うた「野袴」もまた、日本人男性の心の奥にある琴線に触れることができたようで、大変嬉しく思っております。



その「憲法黒」の開発に関わった、織り師石塚久雄さんの創作野袴です。

大ヒットとなった作務衣「卯月」を手がけ、武州はおろか、全国レベルでも創織作家として名を馳せる石塚さんならではの会心作。まさに石塚ワールドの一着ゆえに、作品名もそのまま「石塚野袴」とさせていただきました。

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袴&和服アンサンブル , 93~94年の作務衣

正藍染 藍重ね野袴


「藍墨野袴」が、嵐のような拍手に後押しされて、異例のペースでその輪を広げています。わずか半年という短い期間でここまで会員の皆様に熱い指示を受けた作品は、稀有の一言。



この野袴への熱い関心は、ただ物珍しいだけではなく、日本人男性としての潜在的な願望が強く働いたのではないかと思われます。



そこで、一人でも多くの方に、野袴の着用を体験していただきたいと考え、普及版として開発したのが「藍重ね野袴」です。



ご覧のように、上衣にプリント模様。このプリントされた生地を後から正藍染にて染め上げました。そのままだと派手に流れかねないプリント地が、全体を藍に包まれて、いかにも野袴といった色合いに仕上がっています。
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カタログ和服こぼれ話

野袴とは何ぞや?袴のまめ知識


前回登場した「憲法黒 藍墨野袴」に、「野袴とは何ぞや?」と思われた方も多いのではないでしょうか。そこで今回は、袴についての豆知識をお届けいたします。





袴とは?

腰から足までをおおう、ゆったりした衣です。 語源は「穿裳(はきも)」で、古墳時代にはすでにその祖形が見られます。下に、袴の一部をご紹介いたしましょう。






その他にも、表袴、大口袴、小口袴、指貫袴、平袴、襞高袴などと様々な形態がありますが、袴のタイプは、股の分かれていない筒状の「行燈袴」と、ズボンのように股が分かれている「馬乗り袴」の二つに大きく分けられます。



動きにくいイメージのある袴ですが、TPOにより様々な種類を使い分けることによって、あらゆる場面に対応することができます。



作務衣より“古装”としての印象度が強い野袴は、まさに着用するだけで存在感が際立つ和服です。
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藍染作務衣 , 袴&和服アンサンブル , 93~94年の作務衣

憲法黒 藍墨野袴


藍と墨の交わりが、この装いを、鮮烈なまでに現代に蘇えらせました。

印象深きその姿――もののふの心を持ちて、春にこそ踏青の喜びを知る。




色のイメージが装い自体を定めてしまうことがままあるもの。

憲法黒の再現と藍墨の開発がもしなかったならば、この「野袴」という装いは、現代に蘇ることもなかったかもしれない。

あまりにも鮮烈なこの“はかま姿”には、藍墨の彩り以外は思いも浮かばない。

兵法、剣法に長じた吉岡流からの贈り物。それもまた妙なる縁といえようか…。



きりっと紐を結べば、臍下丹田に活力湧き、野遊び、散策はまさに踏青の喜びを五体に走らせる。うららなる春だからこそ、この端正さは印象的。色も映える。

その昔、武士たちが本袴を脱ぎ捨て、心を開放させたこの野袴に、今は気品と格調を感じ取るのも実に興味深いものである。

作務衣を見慣れた目に、これだけ眩しいのならば、一着、ご用意召されてはいかがなものだろう。



伝統様式をきちんと備えた本格的な野袴の仕立てです。しかし、本袴と異なり、着付けは簡単。ひもを回して、後ろをツメで止め、あとは結ぶだけ。もちろん、一人で着ることができます。
正絹袴アンサンブル 白鼠」はこちら!
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藍染作務衣 , 93~94年の作務衣

憲法染作務衣 藍墨と羽織


藍の潔さと黒の剛毅さをあいたずさえて、颯爽とした彩り――櫻花、菜花の彩りの中で、きりりと映える男子の作務衣。よって、婦女子ご免蒙ります――。



いかに技に優れていても、藍染だけでは出せぬ藍の色がある。しかし、間口を広げてみれば可能性が広がってくる。

素材は綿、タテ糸は武州ならではの正藍染。ここに、ヨコ糸として他流の染めを迎えてみたら、こんなすごい藍の彩りが誕生する。




吉岡憲法流がその相手。藍で下染めして、梅の樹皮で染め、鉄媒染を加えた憲法黒。

このヨコ糸と正藍染のタテ糸で交織。巧みな計算で、黒を潜めながら、藍の端麗さを墨絵ぼかしのように引き出す。

これぞ、藍の新しい色合い「藍墨」である。外なる輝きより内なる剛毅さを求めた、男子本懐の彩り。花は櫻木、人は武士――の心境。



もちろん、羽織をご用意しないわけにはまいりません。

言うまでもなく、作務衣・野袴と同じ染めと織りです。作務衣、野袴のいずれにも着用できますが、特に、左の写真のように、足袋に雪駄でまとめれば、その渋さ、格調高さはとても印象的。

はおれば格調高く、脱げば野趣に溢れるという具合に、羽織一枚で、そのイメージの変化を楽しむのも一興。言わずもがなですが、他の作務衣へのご着用もご存分に。
染作務衣」はこちら!
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甦る日本の和服 伝統技術と匠の技

藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(4)

作務衣だけではもったいない。野袴も同時に…!



織師、石塚久雄が工場に閉じこもって三週間。いよいよ、藍の新しい彩りが姿を現しました。

「黒を見せては駄目。しかし、全体に黒の味わいが行き渡らなければ駄目。いかに黒を潜ませるかに苦労しましたよ。」

石塚さんはこれだけしか言いません。



完成した色に、全員、しばし無言。正藍染ならではの絣もきちんと生きています。しかし、単なる藍でもありません。それは、まさに「藍墨」という以外にありません。更に渋く、より端麗。さらに一途なまでに剛毅な藍の彩り。



媒染のスペシャリストが参加してくれた事もあって、新しい藍の旅立ちは想像以上の出来栄え。作務衣だけではもったいないとの声もあり、機会があれば…と考えてみた「野袴(のばかま)」にも、この藍墨を採り入れてご紹介することとなりました。


「吉岡流憲法染」



憲法(けんぽう)とは、室町末期、将軍家の兵法師範をつとめた吉岡家の世襲的な名称。兵法と共に小太刀の妙術をもって剣法道場も開き、俗に吉岡流と呼ばれる。

宮本武蔵をして“京に天下の兵法者あり”と言わしめた程の栄華を誇ったが、小説や映画では宮本武蔵の敵役として扱われている。実際は武蔵との対決も“勝負を分たず”と言われている。

兵法、剣法に長けると同時に風流にも通じた名門武家であったとされる。

後に、大阪冬の陣に参戦。豊臣方に組したが、その敗戦を恥じて兵法を捨て、西洞院四条に遷居し、門人李三官から伝えられた黒茶染の法をもって染物業に転じる。

憲法染、吉岡染などと呼ばれ名声を博すが、特に独特の黒染めは、明暦・万治の頃に大流行した。梅の樹皮染・藍染と鉄媒染がこの“憲法黒”の特徴で、いかにも武人好みの色合いとして、姿を消した現在でも評価は高く、復活を望む声も多い。

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藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(3)

梅染めの茶と藍が奥深い黒を生み出す。



正藍染については問題なし。問題は憲法黒の再現です。

元々の憲法黒は、梅の樹皮だけで染めていたと言われますが、江戸時代に入ってからは、まず藍で下染めしてから梅で染めるようになったとのこと。今回は、あくまで藍の開発ですから、後者を採ります。

名前は聞いたことがあっても実際に染めるのは初めての秋元さん。クチは北さん、ウデは秋さんの二人三脚で試し染めが続きます。



下の写真のように、

1、正藍染による下染め

2、梅の枝の樹皮から採った染液による染め

3、鉄媒染

という工程を幾度も繰り返し、納得のいく“黒”に染め上げていくのです。



ポイントは、やはり3の鉄媒染。クギや鉄片などで作った媒染液が黒の味わいを決めるため、北さんも力が入ります。1~3の工程の繰り返しを調整しながら約一ヶ月。さすが鉄媒染の第一人者である博士こと北一男さん。みごとな吉岡の黒を再現してくれました。



「それにしてもいい黒だね。単純な黒じゃないもんね。梅染めの茶と藍が交じって実に奥深い黒だよ」と北さん自身が感動する程。さあ、この憲法黒をヨコ糸に使い、正藍染のタテ糸と交わらした時、どんな新しい藍の彩りが出現するのでしょうか。





1、まず正藍染にて下染めを施す。この糸を…





2、梅の樹皮染液で染め、藍に茶色をしのばせてゆく。





3、鉄媒染液に漬け黒に仕上げる。1~3を何回も繰り返す。




◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(4)」に続く…
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藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(2)

「吉岡の黒をやるのかい?そりゃいいね」と、頼もしい助っ人がひと肌ぬいでくれました。

「新作は藍色でいきたい…」と切り出した時の二人の表情は見ものでした。二年続けて「卯月」「三し織」という大ヒットを連発した染の秋元、織の石塚という武州きっての職人にとって、“何を今さら…”と怪訝な顔になるのは無理からぬところ。いや、実はかくかくじかじか…新しい藍の可能性を求めたいとの意向を伝えると、やっと納得。それも、黒を採り入れた藍染をお願いしたい――と話が進む頃には身を乗り出してくる程。そして、その黒は…とこちらが言い出す前に「吉岡だな…」とズバリ。さすがに実力派のお二人。分かってくれています。



憲法黒のポイントは鉄媒煎にあり!



こうして、武州正藍染と吉岡流憲法染の結婚話は意を挟む者もなく決定したのですが、ベテラン藍染師の秋元一二さんだけが浮かぬ顔です。

「いやね、吉岡の黒やるんなら媒染がポイントになるわな…ワシには荷が重いよ」とのこと。そこへ石塚さんから間の良い一言。

「博士がいる!博士に助(す)けてもらえばいいじゃないか、ウン」おう、博士か…秋元さんの顔もパッとほころびました。



職人仲間に“博士”と呼ばれる人とは、北一男さん。プロフィールをご覧頂けば、呼び名の由来もよく分かります。

「いやあ、吉岡の黒をやると聞いて、ワクワクしましたよ。こりゃ、俺の出番だなってね。喜んで協力させてもらいますよ」と大ノリの北さん。鉄媒染の第一人者がスタッフに加わり、いよいよ体制は整いました。



北一男さん

昭和9年生まれ。群馬大学工学部入学、地球科学を専攻。卒業後、民間企業の研究部にて酸化鉄(弁柄)、磁性材料(フェライト)の研究に没頭。植物染め、藍染に興味を持ち、武州のコンサルタントとして関与。鉄媒染の第一人者として今回“憲法黒”の再現にスタッフとして参加。新しく更なる藍づくりへの道を開いた最大の功労者である。



◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(3)」に続く…

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甦る日本の和服 伝統技術と匠の技

藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(1)

藍を極めたからこそ出来る、更なる奥深さ――新しき藍への第一歩は、吉岡流憲法染と共に。



はるかな昔より、それぞれの時代の人々に愛されながら“藍”は悠久の旅を続けてきました。そして、代を重ねながら研鑽を怠らなかった染師たちの努力により、藍は、その濃淡は言うに及ばず、さまざまな柄や模様を生み出す技法に至るまで、今や一つの極まりを見せたといっても過言ではないでしょう。



その証としては、これまで私ども<伝統芸術を着る会>が、復元、開発を重ねてきた数多くの藍染作務衣が、藍染の何たるかをお分かり頂ける会員の皆様に快く受け入れて頂いていることでよく分かります。



藍の端麗、四方に輝きを放ち、憲法黒の剛毅、一途に潜む…これ、男子本懐の彩りにて、藍墨と称す。



しかし、これで藍の旅が唐天竺(からてんじく)まで達したとは思いたくありません。藍には、それを極めたところから始まる、更なる奥深さや可能性が秘められていると信じるためです。



藍の更なる求道の旅立ち。

その第一歩として、当会はここにひとつの彩りをご呈示したいと思います。単独の染めとしては頂を見た藍染の次なるステップは、他の染め技法との交わりにより生まれる――との判断から誕生した一彩。



相手として選んだのは、天下の兵法者の手により完成した「吉岡流憲法染」。特に、その黒染めの彩りは剛毅にして端正。もののふの心を現した銘彩です。

この吉岡の黒を再現、武州正藍染と合わせました。まさに墨交の交わりから生じた「藍墨」の出来栄えやいかに。じっくりとご照覧下さい。



◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(2)」に続く…

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藍染作務衣 , 染&織作務衣 , 93~94年の作務衣

正藍竜巻絞り染作務衣 周防灘(すおうなだ)


武州ならではの伝統染め技法「正藍竜巻絞り染」。微妙で計算できない縞柄が楽しめる作務衣です。

注目は布地。織りはオックスフォード織り。聞きなれないかもしれませんが、分かりやすく言えば洋服地の織り方とお考えください。凹凸感のある上品な織り上がり。縮ませるだけ縮ませてありますので、ご家庭でも丸洗いすることができるのも使い勝手がいい一着です。



もう一つの特徴は、総裏付。少々の寒さでも大丈夫。まして、額に快い汗などにじませながらの仕事にはうってつけ。また、肌着やTシャツと合わせても総裏付ですからすべりが良く、着心地の良さは万人の認めるところです。

年末仕事におすすめしていますが、染めは「正藍染」、織りは「オックスフォード織り」、しかも総裏付なのですから、寒い季節のお洒落作務衣としてのレベルも高い一着です。
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竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 夕凪


陽射しが布地の透間を駆け抜けてゆく。水浅葱と呼ばれる淡青色が涼しげ。濃き緑の中をそぞろ歩けば、時が止まる気分。艶やかで粋な衣が、一陣の涼風を招く。



素材も染めも「潮騒」と同じですが、原反を藍ガメに浸す回数が四回から五回と少ないので、仕上がりの色が、水浅葱(みずあさぎ)というやや浅い藍色です。着心地は「潮騒」と変わりませんが、見た目には、より涼しく感ぜられます。いずれも藍染を代表するふた色です。



「夕凪」も「潮騒」と同様、竜巻絞り染ですから、全く同じ模様のものは出来ません。

「絽」の持つ透明感、気品が、遺憾なく発揮されるお洒落な綿絽作務衣。これもまた、“作務衣通”と呼ばれる方におすすめの一着です。



素材は、染め上がりと肌触りの爽やかさという面から綿100%。織りは五本絽。そして色は、竜巻絞り染という伝統的な技法を用いた正藍染です。



絞り染から生じる独特の藍模様が特徴。濃淡の二種類をご用意しました。淡い方は、4~5回ほど染めた水浅葱(みずあさぎ)という藍色。そして、もう一方は7~10回にわたり染め上げた藍。いずれも藍染を代表するふた色です。

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竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 潮騒


絽に織られた綿の心地よい肌ざわり。海を思わせる深い藍に、波が立つような淡い彩りが騒めく藍染模様――。透き通るような気品の中に、季節が踊る。



原反を七回から十回も藍ガメに入れて染め上げてあります。

藍染を代表する色、しかもすべて一枚ずつ手染の絞り染めですから、一見では似た染め上がりですが、全く同じ模様は二つとありません。着心地は独特の風合いがさらりとしていて、軽い感じです。



他人から見ますと、何ともいえぬ気品を漂わせながら、一方では艶っぽいほどの粋さが感じられます。綿ではありますが、そこはかとなく「絽」独特の高級感が伝わってくる、そんな作務衣です。
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甦る日本の和服 伝統技術と匠の技

五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」3

同じ柄はふたつと無い、これが絞り染の楽しさ。



一反12メートルの綿絽の布地を二人がかりでいっぱいに広げます。それをぐるぐるとロープ状に巻いていきます。その様子は、天に駆け上る竜巻のよう。竜巻染めという技法の呼び名もこの光景からきたものです。

絞り上げられ太い縄のようになった綿絽を藍ガメに入れて染めるわけですが、絞られた部分に染めムラができます。



「そう、意図的にムラを作るんだ。濃く染まる部分と淡く染まる部分が模様になる。まあ、同じように絞るからおおよそ同じような柄になるが、どれをとっても、ひとつと同じものはないんだ。だから、染め上がって布地をほどく時は一反ごとにワクワクするよね」



と秋元さん。こんな素人じみたことを言いながら、どれくらい、どこをどう絞ればどんな染め模様ができるかは全てが頭に入っているのです。長年の経験とカン、これが職人の技というもの。スタッフに喚声をあげさせた正藍竜巻絞り染の出来栄えは、まぎれもなくプロの仕事。みごとな伝統染技の復活といえましょう。



念願だった絽の作務衣の開発に大きな花を添えた正藍竜巻絞り染の技法――手ごたえはズシリと重いものがあります。



1、精錬された綿絽の布地一反(12メートル)をしわを寄せながら縄状にぐるぐる巻いていく。この形状から<竜巻絞り染>といわれる。



2、縄状に巻かれた布地を束ね、何回も藍ガメにつけて染める。巻くことにより染めムラができ、それが独特の模様となる。



3、藍ガメから引き上げた時はきれいな緑色。これが空気に触れることにより藍色に変化してゆく。この空気酸化こそ藍染の命である。



4、この繰り返しが藍の濃淡を決める。淡い水浅葱(みずあさぎ)色で4~5回。濃い藍で10~15回ほど染めを重ねていく。



5、仕上げ染めは、全体をムラなく染めるため先端に針を付けた竹ひごに布をほどいて張り染めていく。この工程が、竜巻絞り染の色合いを工夫する。
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甦る日本の和服 伝統技術と匠の技

五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」 2

広げた綿絽の反物に鮮やかに広がる藍模様!



秋元一二さん。例の発言の主です。武州藍ひとすじに33年、現在63歳のベテランが、この竜巻絞り染の復活に挑むことになりました。



「話には聞いてたが、私だってやったことがないからな。ま、これまでの経験を生かしてやってみるよ」

と見事に肩の力が抜けています。まわりの人の話だと、

「秋さんなら大丈夫さ。考えるより先にぶつかっていくから。そして、何とかモノにしてしまうから…」

とのこと。何とも頼もしい職人さんのようです。



とはいうものの苦労はあったようです。なにせ半世紀ぶりに伝統技法の復活をやろうというのですから。



「午後三時をまわったら仕事はしないよ。藍の色の判別ができなくなるから…ね」

と徹底した職人気質を見せる秋元さんが、夜遅くまで藍ガメと共に在った――と証言する人もいます。そして或る日…。



「出来たよ。こんなもんかな」

と相変わらずの口調で持参した竜巻絞り染の反物。期待と不安が入り混じった視線に見守られながら広げた反物には、鮮やかな藍模様が展がっていました。



藍染職人 秋元一二

「ムラが出るように絞って染める――何でもないことのようだが最初に考えた人は偉いもんだ。やってて、そう実感したね」
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甦る日本の和服 伝統技術と匠の技

五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」 1

「よし、絽で行こう!」

新しい作務衣開発のための企画会議は、全員一致で決定を見ました。絽の作務衣づくりというこのテーマこそ、スタッフのすべてが「いつの日か…」と胸に秘めていたものだったのです。



全員が色めき立ち、準備は着々と進みました。色はやはり藍、それも正藍染がいい。ならば、素材は絹より綿だ。藍の色合いを考えたら五本絽が理想的――という具合に、画期的な絽の作務衣が具体的に形となっていきました。



職人のつぶやきが伝統の技法復活への第一歩に。



いよいよ試作です。この企画を持ち込んだ先は、藍染の里として数々の傑作作務衣を生んでいる武州でした。絽の作務衣と聞いて、それは面白いと快諾。職人魂に火が付いたようです。



しかし…。出来上がった試作品を前に、スタッフ一同浮かぬ顔。何か今ひとつ足りない感じなのです。いつも新しく質の高い作務衣づくりを求める限り、つい欲が深くなってしまったのでしょうか。

そのとき、同席していた職人の口から思わぬ一言がこぼれました。



「タツマキでやってみるか…」



一同エッ?という顔。

説明によると、タツマキとは“竜巻絞り染”という最近では滅多に見られなくなった伝統的な藍染技法ということ。布地を絞って染めるため、色に計算できない濃淡が出て模様になるというのです。

とにかく試し染めをしてみようということになりました。
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藍染作務衣 , 91~92年の作務衣

正藍染 松坂木綿作務衣

“伊勢の衣縫”の浪漫を想い、綿ごこちを楽しむ。



わが国に「綿」という新しい繊維がもたらされたのは、室町時代といわれる。記録の上では、三河の国で最初に綿が栽培されたとなっている。この三河と海を挟んだ伊勢平野でも、相次いで綿づくりが始まった。



一方、五世紀の後半に大陸から紡織の技術を持った集団が渡来。その一部は吉野川をさかのぼり、伊勢に定住。やがて“伊勢の衣縫い(きぬぬい)”と呼ばれ、中央政府から公認されるほどの大きな職能集団に成長していた。



この伊勢の衣縫たちと、栽培が始まった木綿が出会い、さらにこの地の豪商たちの才覚も加わり、松坂木綿の名は高く後世に残っていくのである。



正徳二年(1712年)刊行の百科辞典「和漢三才図会」の木綿の項には「勢州松坂を上とす、河州、接州これに次ぐ」とランク付けされていることからも、この松坂木綿の質的内容は高かったようである。



この伝統を受け継ぎ、松坂の「もめん」は今も健在。最高級の綿織物として高い評価を受けている。



この松坂もめんを使用した作務衣が、この「松坂木綿作務衣」。伊勢の衣縫たちの浪漫を想い、高級木綿の着心地の良さをたっぷり満喫して頂きたい。

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91~92年の作務衣 , 藍染作務衣

武州正藍染羽織

ちょっとこだわって拒み続けてきた、あの“武州”の羽織がいよいよ発表。



作ろうと思えば、いつでも作れました。実際に、“古き佳き作務衣を現代に甦えらせたい”という目的に沿って、記念すべき「武州正藍染作務衣」が産声を上げた時も同時に試作品としてこの羽織も出来上がっていたのです。



それなのに、当会が今まで、この「武州正藍染羽織」を世に出さなかったのには次のような理由があります。



当会では、この「武州正藍染作務衣」を、その後次々と開発しているすべての作品の原点と考えています。この作務衣だけは、古き佳き伝統、形式や様式を可能な限り“そのまま”にとどめておくべきだと強く思っていたのです。

古き佳き素のままの作務衣として、頑なに羽織まで拒み続けてきたというわけです。



会員の皆様から叱責に近いご要望が!



このこだわりに対して、会員の皆様からは“武州の羽織をなぜ作らないのか!”という叱責に近い声がどっと押し寄せました。確かに、他の作務衣に羽織はあるのだから…という皆様のご要望もまた真理。



そこで、この羽織だけは、作務衣と切り離してご要望にお応えしようということに決定いたしました。

つまり、作務衣に対するこだわりを保つ一方で、皆様のお好みにもお応えするということです。



その意味もあって、武州とはもちろんですが、他の作務衣との組み合わせを、当会としては強くおすすめいたします。

素材、染め、織り…すべて「武州正藍染作務衣」と寸分変わりません。
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◆作務衣と和服の豆知識 , 87~90年の作務衣 , 藍染作務衣

武州正藍染作務衣

作務衣の本流。藍染の里、武州が誇る自信の一着――



古き良き作務衣を現代に甦らせたい――という目的からスタートした当会が、すべての原点として完成させたのが、この「武州正藍染作務衣」です。

その後に発表されたあらゆる作務衣も、全てこの一着を源としているというわけです。その意味で、作務衣の本流と申せましょう。



入門に最適な一着でありながら、極めた人にも愛される不朽の名作。



武州と言えば藍染の里として有名。

この地が自信を持って世に送り出しただけに、その完成度の高さは定評のあるところ。



“蓼藍”の葉を自然発酵させた染液で糸の段階から十数回も繰り返して染め上げられた特選正藍染め、つむぎ風織り木綿100%の肌ざわりの良さ、藍の深さは、最高級とのお声を頂いています。



当会設立当初からの会員の中には、この“正藍染”一本やりという方も多いようです。



「一年おきに購入してすでに五着持ってますが、平等に着て洗っているとそのすべてに時間の経過による色合い、風合いの異なりが出てきてイイ感じです。洗うほどに変化していく正藍染ならではの味わい、これはたまりません。鮒(フナ)にはじまり鮒に戻ると言いますが、やっぱりこれは作務衣の原点だと思いますね…」



とのお便りを頂くと、作り手冥利に尽きます。

洗いを重ねるごとに渋さと愛着が増してくるのも、いかにも作務衣本来の姿と言えましょう。まさに、不滅の一着です。

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カタログ和服こぼれ話

作務衣のある暮らし 4

一枚の“心の装い” が新しいあなたを創る!



「たまの休みなど、こいつを着てると仕事や世間のわずらわしさから解放され、心が洗い流されていくみたいですネ」と働き盛りの男性。



「女房の好みですべて欧米風の暮らし。せめてもの自己主張として作務衣を着ている」と39歳の会社員。



「パジャマでゴロ寝の主人にプレゼント。人が変わったようになり、子供たちもン?という感じで父親を見る目が変わってきました」と奥さま…。



作務衣が“心の書斎”と呼ばれる理由は…



…こんな話の中から汲みとっていただきたい。これが、作務衣の精神的な価値観の一例というわけ。



いずれにしても、一枚の作務衣が暮らしの中に入ってくるだけで、いろいろな変化が生まれることは確かであろう。



一度袖を通したら、もう手放せなくなることは必定。

長い歴史が育んだこの“心の装い”で、新しい自分を創ってみるのもよい試みではないだろうか。



そんなあなたのために、「伝統芸術を着る会」では、これからの季節にふさわしい作務衣の数々をご紹介する。
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カタログ和服こぼれ話

作務衣のある暮らし 3

手作りならではの色合い、風合いを着る!



作務衣の基本は“藍”である。

愛といえば、外国では“ジャパンブルー”とよばれ、まさに日本の色といわれるほど。

本格的な作務衣は“藍染”である。“蓼藍(たであい)”の葉を自然発酵させた染液で、糸の段階から数十回も繰り返して染め上げられる色合いは、まさに自然の生命と人間の技が混然と溶けあったわが国の誇る伝統芸術である。



吟味し尽くされた綿をつむいで作られた綿糸。この“かせ糸”を藍に染める。丹精込めた染めが終わると、清水での入念な洗い。そして乾燥。この染め上げた糸を、手織りに近いゆったりとした工程の織り機でつむぎ風に仕上げていく。



手間ひまかけた手づくり作務衣は、素朴な野趣と爽やかな清涼感で着る人の肌にさり気なくなじんでいく。藍を愛し、糸を慈しんだ職人たちの息づかいが聞こえるような作務衣。これに袖を通すだけで、何ともいえぬ世界が広がってくるだろう。



洗えば洗うほどに藍染めの渋さが深まってくる。着れば着るほど肌になじんでくる――同じ着るなら、こんなホンモノ、本格作務衣にするべきである。



→「作務衣のある暮らし 4」へ続く…

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カタログ和服こぼれ話

作務衣のある暮らし 2

形式や様式にこだわる本格派志向が主流!



長い歴史の中で着継がれてきたこの作務衣、現在では仏門以外でも広く着られるようになり、素材、形、色もさまざまである。

つまり、時代と共にこの伝統的な作務衣も少しずつその様子を変えてくるというわけである。



しかし、その伝統性や作務衣の持つ独特の精神性に価値観を認めるなら、やはり本格的なものを着て楽しみたいもの。

形式や様式にこだわるのは、伝統的なものを楽しむためには欠かせない要素。



たとえば、藍染作務衣に普通のスニーカーというよりも、藍染には下駄が似合う。衿の白さがまぶしく藍に映える、生成りの肌着をつけたい。お出掛けには作務衣用の羽織をまとうだけでぐんと雰囲気が出る――そんなものである。



動きやすく、ゆったりと…ウエアとしての機能性も抜群!



作務衣のウェアとしての特色をいう時、とかくその精神性の方に目がいきがちだが、やはり機能性を忘れることはできない。

どんな激しい動作にも無理なくゆったりと対応でき動きやすい。つまり、着ていてラクということ。



内ヒモと外ヒモで形くずれを防ぎ、小物を入れるポケットも上下にそれぞれ付いている。すそもゆったりと、全体に少しダブつき気味に着ると、作務衣独特のシルエットが生まれる。丈夫さについては説明の必要もあるまい。



基本的には綿100パーセント。ごわっとした、素朴な肌ざわりが実にここちよい。素材的には、絹素材の高級品も開発されているので用途に応じて使いわけることもできる。



→「作務衣のある暮らし 3」に続く…
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カタログ和服こぼれ話

作務衣のある暮らし 1

仕事や世間のわずらわしさを丸ごと呑み込んでしまう…

“心の書斎”ともいうべき感覚が人気の秘密!




作務衣を着た人を見てどう感じるか?と質問すると、実にさまざまな答えが返ってくる。



「着ごこちが楽そうだ」と機能性をいう人。「なかなか渋い。趣味が良い」とその伝統性を見る人もいる。さらに、「人間性に奥行きを感じる」とか「意識が高そうに見える」などと、その装いを通して人格的なものまで評価するケースが多い。



作務衣が静かなブームを続けているというが、まさに、これらの答えがそのまま作務衣の人気を物語っているようだ。

一枚の作務衣に託す自己表現と精神的な開放――なかなかの着眼である。



作務衣に受け継がれる先人たちの知恵



作務衣とは、古来より僧侶たちが、作務(心の雑念をなくすための労働一般を言い、大切な修行のひとつとされている)を行う為に着用したものである。



四季を通じて厳しい労働をするという前提で考えられたものだけに、その着やすさや動きやすさ、丈夫さは別格。

はるか遠い昔にこれだけの機能性・合理性を生んだ先人の知恵には、少なからず感服させられる。



→「作務衣のある暮らし 2」に続く…
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