日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」

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甦る日本の和服 伝統技術と匠の技

藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(4)

作務衣だけではもったいない。野袴も同時に…!



織師、石塚久雄が工場に閉じこもって三週間。いよいよ、藍の新しい彩りが姿を現しました。

「黒を見せては駄目。しかし、全体に黒の味わいが行き渡らなければ駄目。いかに黒を潜ませるかに苦労しましたよ。」

石塚さんはこれだけしか言いません。



完成した色に、全員、しばし無言。正藍染ならではの絣もきちんと生きています。しかし、単なる藍でもありません。それは、まさに「藍墨」という以外にありません。更に渋く、より端麗。さらに一途なまでに剛毅な藍の彩り。



媒染のスペシャリストが参加してくれた事もあって、新しい藍の旅立ちは想像以上の出来栄え。作務衣だけではもったいないとの声もあり、機会があれば…と考えてみた「野袴(のばかま)」にも、この藍墨を採り入れてご紹介することとなりました。


「吉岡流憲法染」



憲法(けんぽう)とは、室町末期、将軍家の兵法師範をつとめた吉岡家の世襲的な名称。兵法と共に小太刀の妙術をもって剣法道場も開き、俗に吉岡流と呼ばれる。

宮本武蔵をして“京に天下の兵法者あり”と言わしめた程の栄華を誇ったが、小説や映画では宮本武蔵の敵役として扱われている。実際は武蔵との対決も“勝負を分たず”と言われている。

兵法、剣法に長けると同時に風流にも通じた名門武家であったとされる。

後に、大阪冬の陣に参戦。豊臣方に組したが、その敗戦を恥じて兵法を捨て、西洞院四条に遷居し、門人李三官から伝えられた黒茶染の法をもって染物業に転じる。

憲法染、吉岡染などと呼ばれ名声を博すが、特に独特の黒染めは、明暦・万治の頃に大流行した。梅の樹皮染・藍染と鉄媒染がこの“憲法黒”の特徴で、いかにも武人好みの色合いとして、姿を消した現在でも評価は高く、復活を望む声も多い。

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