日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」

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カタログ和服こぼれ話

藍・LOVE・STORY(4)


藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情

その4・余談「渋沢栄一・高崎城焼打ち計画」




余談ですが、熊谷の先に、「深谷」という市がありまして、昔は藍の産地として広く知られていました。で、この深谷に、渋沢家という藍問屋があったのですが、この渋沢家は、かの渋沢栄一翁の実家でした。



渋沢栄一は、血気盛んな20歳位の時、近隣の若者を扇動して、高崎城の焼打ちを計画しました。焼打ちを成功させるためには、武器がいる。



そこで渋沢栄一は、武器を調達するため、実家の藍問屋からかなりのお金をくすねました。その金額が、今のお金にして10億は下らないだろうと言われています。



それで、渋沢栄一が実家から持ち出した大金を、渋沢家の会計係は2年間気付かなかったというのです。会計係がボーッとしていたのか、お金がありすぎて気付かなかったのかは分かりませんが…。



こうして横浜まで武器を調達しに出かけた渋沢栄一でしたが、運悪くこれが幕府に発覚してしまいました。

窮した渋沢栄一は、京都の一橋家へ逃げ込んだ。一橋家といえば、十五代将軍・徳川慶喜でも分かるように、れっきとした徳川将軍家。幕府そのものな訳です。



つまり、渋沢栄一は、幕府に追われて幕府のふところに飛び込んだ。このあたりが、渋沢栄一の発想のすごさですね。

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