日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」

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甦る日本の和服 伝統技術と匠の技

西ケ崎から、新しい風。「辻村染織のお茶染め」(1)


「倅が“お茶染め”をはじめたときにはおいおい!という感じだったんだけんど、これがなかなかのモンでネ…ウン」



…と、何やら声のトーンが高い七代目。辻村染織七代目、辻村辰利さんである。電話によると、七代目の息子さんが“茶染め”の作務衣を完成させたとのこと。



「一度見に来てくれませんかね。がっかりはさせませんから…」

いつも淡々とした七代目にしては熱がこもっている。西ケ崎に新しい風――何やら手ごたえ十分の予感が走る。



「藍染じゃあおやじにかなわないと思って…」



おっとり刀で駆けつけた遠州浜松は西ケ崎。七代目のかたわらで大きな身体を折り曲げて迎えてくれたのが、今回の主役、辻村啓介さん。七代目のご長男である。



「よう来て下さった。ま、茶でも一服」と通された部屋。初夏のここちよい風が吹き抜け、熱い茶がうまい。挨拶と紹介が終わって話は本題に。ところで茶染めが完成したとか?



「それそれ、倅がね。いやあ、何年か前からこっそりと何かやってるとは思ってたんだが…とうとうやったみたいなんだよ。これならお宅に話をしてもいいと思ってね」と七代目。かたわらの啓介さんを見ながら目を細めている。



「藍染じゃあおやじにかなわないから、何か新しいものをと思って一人で研究してました」と啓介さん、まだ30歳の若さだが、七代目の下で藍染め修行12年のキャリアがある。



七代目に言わせると“超ガンコ者でこだわりを持つ性格”だとか。何かはじめると一途にのめり込んでいくという。茶染めも同様、学ぶものがないためすべて白紙から独自に道を切り開いてきたとのこと。



「まず、いろんなお茶で染めることからスタートしました。染料植物である藍と違って、お茶は染まりにくいんですよ。それに、原料のお茶が多量に必要で…」



三年ほどの苦労の末、ある程度のレベルに達した啓介さん。そこで、初めて静岡県工業技術センターを訪ねる。



「トン単位のお茶の手配には、正直、頭を痛めていました」



そこへ乗り込んだ啓介さん。話を聞いて同センターも諸手を上げて歓迎。これまでの研究資料を全て公開してくれた上、協力を約束。



ここまでくると啓介さんも後にはひけない。七代目にも決意を表明。西ケ崎・辻村を挙げての挑戦となった。

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