日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」

日本の和服・作務衣を専門に追求した「作務衣博物館」は「作務衣の専門館『伝統芸術を着る会』」によって運営されているウェブサイトです。
カタログ和服こぼれ話

匠、引退。有終の美を飾る。(3)

「段染」と「紋型織」の提案に興奮は高まる。







それからしばらくして入った一報に、スタッフはざわめきたちました。



「あのサ、今度の作務衣、段染めの糸を使って紋型織りで仕立ててみたんだけど」







"段染め"とは藍を用いてかせ糸を薄い部分と濃い部分に染め上げる手法。濃淡の出し具合が非常に難しく、仕上がりの織りを頭の中でしっかりと想定しなければできないという、まさに経験豊かな職人中の職人にこそ可能な染め。







しかも、その糸を、明治初期にヨーロッパより伝わり、平織、綾織、飛綾織の三つの織りの各々の良さがひとつの妙を生み出し。実に味わい深い表情を醸し出すといわれる"紋型織り"で仕立てるというのですから、スタッフの興奮も当然至極。







ところが、騒然とするスタッフに秋元さんは追い討ちをかけるようにこう言ったのです。



「それからサ、もう一着、正絹を藍で染めたモノを創ろうと思うんだ」。







絹に藍を用いる――初の試みが匠の手で実現。







しかも、「正絹を藍で染めるだけではつまらない。他の染液を加えて風情のある色を出したいんだ」とのこと。







その微妙な彩りを創るために、染めの第一段階で刈安を加え正絹を黄に染め、その上に藍を重ねて染め上げる独特の手法を採るそうで、名付けて"二藍(ふたあい)"。染め上がれば、青とも緑ともつかぬ、えも言われぬ独特の彩りになるとのこと。







秋元さんが採用しようという手法は、どれも初の試み。そしてついに完成した作務衣は、匠の集大成にふさわしい、貴重価値の高い逸品となりました。







それを今回、当カタログで紹介できることに、伝統芸術を提供し続ける私どもとして深い誇りを覚えると共に、偉大な金字塔を築いた秋元さんに惜しみない拍手を贈りたいと思います。
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匠、引退。有終の美を飾る。(2)

作務衣の立役者から突然の引退話が…







その名匠とは、武州にその人ありと言われ、数々の伝説的名作を生んだ、あの秋元一二さん。引退して、これからは後進に未知を譲り、その育成に努めたいという、まさに寝耳に水の打診を受けたのが約半年前。







しかし、私どもの独創的な作務衣は秋元さんという匠がいたからこそできたもの。引退なんてとんでもない、と大慌てで仕事場へ駆けつけ説得したのですが、作務衣創り同様、その決意も頑固一徹。残念ながら、しぶしぶ引退話を受け入れるしかありませんでした。







これもまた、秋元さんの次なる実りへの人生の種蒔きなのだとは思いつつも、一抹の寂しさは拭えません。それほど巨匠の存在は大きなものだったのです。







"藍は愛なり"究極の逸品創り始まる。







しかし首をうなだれてばかりでは実りもなし。ここは一番、引退の花道を飾るにふさわしい、独創豊かな作務衣を創ってもらおうということに相成りました。







秋元さんといえば藍一筋。その匠の仕事ぶりは周知の通り。「藍を扱うにはサ、愛が必要なんだ。自然のモノってすごく手がかかるだろ。愛情がなければ納得の染めはできないんだヨ」。その哲学のなせる技か、秋元さんの藍の作務衣は女性ファンも実に多く、どれほどのたおやかなため息が流れたことか。







だからこそ、最後の仕事となれば、どれほど手間と代価がかかっても構わない。ここはひとつ、ファン待望の究極の藍の作務衣創りに挑戦していただきたいとの私どもの依頼に、「いいねぇ、久々に燃えるよ」と快諾の秋元さん。かくして、匠の技の劇的な創造が始まりました。



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匠、引退。有終の美を飾る。(1)

季節のはざまに暮る、次なる実りへの思い。







ある地方の豪農に代々言い伝えられている訓戒をひとつ。



『夢のような収穫を謳歌するには、土づくりと種蒔きに、現実の汗の大半を注ぐべし』。



春夏秋冬、季節ごとの大いなる実りには、そのはざまにこそしかるべきものがあると諭した先人の言葉には実に深く身にしみいる含蓄があります。







四季のただなかに生の喜びを見つけるのは当然しごく。しかし、それと共に、移ろい行く季節のはざまには、四季という自然の恵みを得た私たち日本人だけが見つけ、味わうことのできる、風雅、活力、趣が脈々と流れ続けているのです。



 



人生もまたしかり。移ろいつつ事を成す。







その季節の移ろいに含まれた趣は、人の生き方にも相通じるもの。例えば、職人が創り出す作務衣が四季の華であるとするならば、その人の経験と休みない練磨、後進の指導や育成は、いわば種蒔きの時期。



そんな道を経てこそ、四季の作務衣という大輪を咲かせることができるのですから。







そして今回、移ろう季節の例えのごとく、ある名職人の引退を、会員の皆様にお知らせしなければならなくなりました。



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歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(3)

寝せ込みから100日、すくもが巣立つ。







11月に入っても「切り返し」の作業が丁寧に続けられ、合計で22~23回位の時点までが、すくもの仕上がりの目処とされます。







そして12月。寝せ込みから数えて約100日で、ようやくすくもは仕上がります。



仕上がったすくもは、家号の印を押した「叺(かます)」に一俵あたり15貫(56.25キロ)を入れ、縄で縛り、全国の紺屋に向けて出荷されます。







こうして巣立ったすくもは、紺屋で可溶化され、阿波の藍染めとして職人だちの手により染め上げられ、多くの人々を魅了してゆくのです。







職人のすくもにかける愛情がいい藍を育む。自然と人がしっかりと見つめあう瞬間だ。
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歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(2)

自然と人の技に育まれる、阿波藍の生涯。







3月上旬。藍の種蒔きは大安の日を選んで行われます。種の大きさは約2ミリ。この小さな粒に願いを込めて、蒔き終えた後は、お神酒を奉り一年の豊作を祈願します。







6月下旬から7月上旬。梅雨が明けてから藍葉を刈り取ります。はじめての刈り取りを「一番刈り」といい、昔は刃渡り18センチもの大型の鎌「藍刈り鎌」を用いて手作業で行われていたそうです。







9月上旬。大安の日を選んで、その年の「すくも」造りが始められます。まず、「寝床(ねとこ)」と呼ばれるすぐもの製造場所に一番刈りの葉を入れます。これがすくもの製造の第一歩で、「寝せ込み」と呼ばれるもの。



その後、5日毎に水を打ち、「切り返し」という混ぜ作業を13回ほど繰り返します。これは長年の経験を要するもので、ベテランの「水師(みずし)」と呼ばれる職人が担当します。







徳島の地に南方からツバメが帰ってくる時期に種を蒔く。



一ヶ月後、2センチ四方に2~3本が残るように間引く。



定植された苗は太陽の光と恵みを受け、すくすく育つ。



藍葉は「頭巾」と呼ばれる専用の保存袋に収められ、保管される。
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歴史の中で安らぎを染め出す。阿波の藍。(1)

「ジャパン・ブルー」として世界に知られる日本の藍。中でも希少価値で知られる阿波の藍の「すくも」作りを辿ってみると…。







阿波藍の起源は不明ですが、西暦の900年頃にはすでに藍の栽培を裏付ける記録が、ない内記寮に「阿波国の藍を以って最勝とする」とあります。これを見ても、藍が相当古くから人々の間で愛されていたことが分かります。







産業としての起こりは鎌倉時代で、藍が特産物として他国に大量に積み出された記録が残っているそうです。



最も栄えたのは江戸時代で、徳島藩の藍推奨策のもとに阿波の藍は全国を席巻し、藍大尽(あいだいじん)と呼ばれる富豪まで生み出すほどの人気を誇っていました。







その後、明治末期には科学染料の輸入と共に衰退しましたが、今日においては希少価値の高い伝統産業として注目を集めるのと同時に、天然藍に魅せられた人々によって、ファッション用品はもちろん、藍の特徴をモチーフにした様々な商品開発が行われています。







また、藍独特の方向は持続性があり、衣類などの虫除け、消臭作用などの薬用効果があると言われ、その特性が現代人の抗菌感覚にマッチしたのか、最近では若い人たちの間でも藍染のファッションが目立つようになりました。







阿波藍も一時期は絶滅寸前という危機に陥ったこともありましたが、時代との接点もあり、今では阿波藍と言えば高級藍染の代名詞ともなっています。


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万葉百彩染羽織 青淵(まんようひゃくさいはおり せいえん)

他の作務衣には合わせて欲しくない…という想い。







この羽織だけは、「青淵」作務衣にのみ合わせて着て欲しい――青木渓水さんから、会員の皆様へのメッセージを託されました。







通常、さまざまな作務衣に合わせて、その雰囲気をお楽しみください、という具合に羽織をおすすめしている私どもも、今回の職人たちの想い入れの強さの前には一言もありません。







もちろん、この「青淵羽織」は作務衣と同じ素材、染め、織り。やはり10周年記念作品となっております。




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万葉百彩染作務衣 青淵(まんようひゃくさいさむえ せいえん)

10年の歩みを物語り、さらにこれからの作務衣づくりを展望する記念の一着を作りたい――こんな大テーマに、武州の職人最強トリオが燃えた。







武州が生んだ明治の英傑、渋沢栄一が愛した<青淵紬>への挑戦。



素材は敢えて綿。繊維の宝石と言われるトルファン綿糸を藍に染め、タテ糸に使用。ヨコ糸は茶と緑の草木染による糸と藍糸を撚り合せた太糸にて紬織を再現。







その名にふさわしく、青き淵を想わせる深き藍の彩り。その風合いは絹に優るとも劣らず。



10年の成果を結集させたこの一着は会員諸氏への献上気分。

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青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(4)

10年の歩みを象徴。そして、作務衣の先を見つめた一着。







「伝統工芸士などという妙な肩書きが付いたから、少し肩に力が入ったけど、この出来なら栄一さんも納得してくれると思うよ。あとは皆さんがこの作務衣の良さを、会員の方にどう伝えてくれるかだけだね。まかせたよ」



渓水さんから厳しいバトンを受け取ってしまった。







伝統様式をきちんと守って開発した「武州正藍染作務衣」一着を引っさげて、作務衣を世に問うてから10年。素材、彩り、技法などにその幅を広げながらも、当会の理念は変わることはない。







その証ともなる今回の10周年記念作務衣は、「青淵」の名を得てここに完成した。職人たちの冴えわたる技が表現したこの一着を、見識高き会員の皆様に委ねる次第である。

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青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(3)

正藍染の草木染の茶と緑糸を撚り合わせて紬に…







気分が乗っていたのだろう、いつもなら2~3ヶ月はかかる試作期間がその半分で済んだ。完成試着会に望んだ職人たちの満足気な顔付きが、今回の記念作務衣の出来栄えを物語っている。深みというか奥行きのある藍である。微妙に緑色がからみ、まさにその名の如く青淵の彩りだ。







タテ糸は例のトルファン綿糸を正藍染にて先染め。武州ならではの絣が生きている。ヨコ糸は…。







「茶と緑の草木染の糸に、藍染の糸を撚り合せた太糸で紬に仕上げてみた」と石塚さんの口から自信満々の説明である。







青木渓水さんは含み笑いしながら口をはさまない。文句なし!という時に見せるこの人の表情である。



秋元さんは?知らぬ顔の半兵衛を決め込んでタバコをふかしている。







この三人の構図をして、武州では“完璧”という。

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青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(2)

絹もいいけど、綿でやりたい。それもとびきりの素材で…。







タテ糸を正藍染の雨絣にて染め上げ、ヨコ糸を手紡ぎの糸と藍糸とを撚り合わせて織った紬織物――これが栄一翁をはじめ武州の豪農たちが好んで愛用した<青淵紬>である。







「絹でやるのかい?作務衣開発10周年記念なら、僕は綿でやりたいな。それも、とびきりの綿でね…」と石塚久雄さんからの提案。全員異論なし。10年もチームを組んでいるとこのへんのことはよく分かっている。







というわけで素材は<トルファン綿>を使うこととなった。



トルファンとは、中国新疆ウイグル地区シルクロード天山南路の東北部の地名である。この地で得られる綿糸は、毛足が非常に長く、シルクに近い艶があり、天然綿の宝石といわれている。その性質を利用して、超極細糸が紡がれる。しかし、生産量は極く微量。その意味からも、絹に勝るとも劣らぬ素材といえるだろう。







トルファンを染められる――と、藍染師秋元一二さんがワクワクしている。石塚さんの頭の中は、もう紬織りのことでいっぱい。創織作家としての好奇心がムクムクと頭をもたげてきている。渓水さんはカメに付きっきり。







ここまでくればもう大丈夫。余計な口出しはしない方がいい。今回の作務衣づくりのコンセプトは十分に伝わっているから、後は彼らの技の冴えを見せてもらうだけである。



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青淵紬(せいえんつむぎ)の再現に武州が燃えた!(1)

「ワシは黒子でいい…」と、本誌への登場を頑なにこばみ続けてきた青木渓水さん。染めの秋元一二さん、織りの石塚久雄さんを率いてすべての作務衣づくりに参加してきた。いってみれば、武州職人の元締め的な存在である。







しかし、今回だけは黒子を決め込む訳にはいかないようだ。伝統芸術を着る会の10周年を記念した作務衣づくりであるばかりか、当人の伝統工芸士認定を記念する意味も込められているのだから…。







<青淵紬>の再現に武州の職人たちが燃えた!







「10周年記念だろう。武州の名にかけてもヘタはうてないぞ、なぁ…」



渓水さんが鬼になった。この気迫に秋元、石塚という武州が誇る名職人二人の顔にも緊張が漲っている。



「で、考えたんだが、ここ一番は栄一さんのアレしかないんじゃないか…と思うのさ」と渓水さん。「青淵か!」と秋元さん。「紬だな!」と石塚さんが素早く反応する。







武州が生んだ明治の偉人、渋沢栄一が好んで愛用していた<青淵紬>を再現、記念作務衣として仕上げようということである。すでに渋沢家の了解は取り付けてきたという。渓水さんがノッている。







代々、藍玉問屋として利根川流域の藍玉を商っていた渋沢家だけに、理解は深い。武州のため、藍染の発展のためなら――と快諾。栄一翁の雅号であった<青淵>を記念作務衣の名称として頂くこととなった。







「何だか大層なことになったなぁ」と秋元さん。「こいつは大仕事だ」と石塚さん。10周年記念、伝統工芸士、そして渋沢家の期待――さまざまなプレッシャーが、武州の職人魂に火を付けたようだ。







藍染液の調子を整える地味だけと大切な役目<藍建>は、渓水さんが自分でやるという。秋元にいい仕事させたいからね…と藍ガメのそばに座り込む。何だかいい雰囲気になってきた。

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武州の職人集団「伝統工芸士」の認定

<伝統工芸士>の公的認定がおなじみ武州の職人チームに!







本人たちは望まなくとも、その実力は世に知れます。おなじみ武州の職人集団に「伝統工芸士」の認定が成されました。







代表して藍建師の青木渓水さんが受賞。95年1月、青木渓水氏の「伝統工芸士」の認定を記念した受賞パーティーが関係者多数の参列を得て盛大に行われました。







今さら…という感じもしますが、やはり公的認定は当会としても嬉しい限りです。


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万葉百彩羽織 絢爛(まんようひゃくさいはおり けんらん)

万葉百彩の草分けとも言うべき、創織作家・石塚久雄さんが織り上げた話題の羽織です。まさに絢爛、百彩の糸が織りなす色絵巻。どんな作務衣にあわせても、雰囲気をこわすどころかその作務衣の個性が際立つのですから、なんとも不思議…。


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万葉百彩織作務衣 卯月(まんようひゃくさいさむえ うづき)

この色をして“卯月”とは言い得て妙。春爛漫は四月の色。







タテ糸は武州ならではの正藍染。そしてヨコ糸の緑は、安定度の高い化学染液をベースに、草木染めの味付け。







この先染めの糸を操り、手織感覚で巧みに織り上げていく。まさに、染師と織師の完成が成し遂げた色合い、風合いといえる。



名付けて万葉百彩織作務衣“卯月”。


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春に挑んだ二人(5)

卯月とはいい名前だ。春のすべてが表れている。







「名前はどうつけるんだい?」と今度は秋元さん。早春でもなく、晩春でもなく、春真っ盛りの四月。春すべてを包括する意味で“卯月(うづき)”としたいと思うと恐る恐る答える。「卯月…ほう、ええねぇ」と石塚さん。鶯(うぐいす)などと言われたら反対するつもりだったという。







古来より植物染料として定評のある四種の染料を混入したことから万葉、織りで創った彩という意味で“百彩”織りと表現したいとの申し出にも了承をもらい、ここに――万葉百彩織作務衣「卯月」が誕生した。







この作務衣の良さ、わかってくれるよねぇ…







待つこと半年。すべてをゆだねた春の作務衣開発は、武州職人の飽くなき探究心と心意気により、想像以上の成果を上げたといえよう。



「あ、言い忘れたけど素材は上質の綿だからね。綿でなくちゃいけないんですよ」と石塚さん。







突然、石塚さんの提案で利根川に夕焼けを見に行く。落ちてゆく夕日を見ながら「分かってくれるよね」とつぶやく石塚さん。大丈夫、うちの会員のレベルは高いから…と答えたら、嬉しそうに笑った。







【交織織りについて:画像上】











【交織織りについて:画像下】




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春に挑んだ二人(4)

1インチ単位で糸の交わりを考える交織技法だから…







思わず息を呑む。何と言えばいいのだろう…この色は。微妙で薄く明るい緑に、藍のタテ糸がひそやかに走っている。







「じゃ、これを見て」と石塚さんが四、五枚の布地を見せてくれる。ほとんど違いが分からない。



「いや、全然表情が違いますね。この違いに悩んだんです。タテ糸を流しながら、1インチ単位でヨコ糸の飛込みを考えるんです。1インチの中に何本ヨコ糸を入れるかで、表情がまるで変わってきます。ですから、試し織りは何度もやりましたよ」







「石塚さんの試し織りは30メートル単位だからスゴイよねえ…」と秋元さん。え?30メートル単位?







「2~3メートルじゃ分かりません。30メートルは織ってみなきゃ…」と平然たる石塚さん。



藍染のタテ糸がカスってるから計算できないものがあり、これもやむを得ないのだという。



「陶芸でも、カマの中で灰が思わぬ模様をつくるから、カマから出してみなければ作品の仕上がりが分からないというでしょう。あれと同じです。だから、何度も織ってみるんです」







やっと満足がいったという。これが石塚さんの考える春の彩だという。何も言うことはない――あとは、この彩をどう会員に伝えられるかが問題だ。







「生地見本はつけるんですか?」と石塚さんに聞かれた。30メートルとは比較にもならないほど小さいが、付けたいと思ってると答える。







「いや、小さくてもいいんです。彩には質感もありますから…。それに写真でこの色を表すのは、申し訳ないけど絶対無理ですから。是非添付してください」とのこと。石塚さん、相当の自信あり――と見た。




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春に挑んだ二人(3)

納得がいかないから四種の植物染液を加えた







藍が基本となった薄線――これが二人が打ち出した結論。



「藍は日本人の心の色です。そして草木の芽吹きや自然の色どりはやはりみどり。これをどう組み合わせて彩にするかが大きなポイントとなりました」と石塚さん。身振り手振りもまじえ、表情がイキイキしてきた。







まず先染めの糸揃えから。ヨコ糸はムラのないきちんとした緑系のものが欲しいということで、敢えて機械染めにする。そして、タテ糸は遊びのある手染めの正藍というのが石塚さんから秋元さんへの注文。







「ヨコ糸に使う染料を見せたら首をかしげる。実際に染めてみると確かに単調過ぎる。そこで草木を混ぜてみようということになったわけだ」







藍の葉と梔子(くちなし)の実から抽出した染液を少々。そして、黄色味を出すために刈安(かりやす)を多目に、さらに赤みを加えるためにインド原産の蘇芳(すおう)を高級科学染料に少々混ぜたという。深みのある自然な感じのする濃緑のヨコ糸が出来上がった。







「タテ糸の藍染は秋さんの十八番。ほら、これがそうですよ」とタテ糸を見せてくれたが、どう見ても綿の生成色にしか見えない。かせ糸の奥の方が少し薄く藍がかってはいる。







「三回も染めたんだよ。それでいてこれさ。ま、これが藍染の技術ってもんかな」と秋元さんニヤリ。



「紺に近く濃く染めたら分からないけど、これだけ薄いと手染めならではのムラが分かるでしょ。これが面白いんです。機械染めの安定した緑色に、この遊び心のある藍が交わったら…ハイ、これが織り上がったものです」と完成した布地がいよいよ登場した。

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春に挑んだ二人(2)

日本人の心にある春の色ってどんなものかな?







主役の二人が笑顔で迎えてくれた。一人はもうすっかりおなじみになってしまった藍染師の秋元さん。そして、もう一人が、今回織りを手がけてくれた石塚久雄さんだった。







石塚さんとは初対面だが、その名はよく耳にしていた。武州織物「石織」の三代目として家業を継ぐ一方で、創織作家として作品展や創作コンクールを総なめ。まさに日の出の勢いを持つ織り師であるとか。当会の、“条件無し、最高のものを…”という無理難題に、武州は最強のコンビで立ち向かってくれたのである。]







「面白い、やってやろう!と作家ごころが騒ぎ引き受けたんですが、いざスタートを切ってみると、正直なところ頭を抱え込んでしまいましたよ」と石塚さん。秋元さんもかたわらでうなずいている。







「春の色ってなんだ?と、秋さんと二人で考え込みましてね。やれ桜だ鶯だ、菜の花だなんて次元からわいわいやってる内に、何がなんだか分かんなくなって…ねえ、秋さん」







「ウン、そうだな。わしは染め屋だから“色”を考えるけど、石塚さんは“彩”を考えるんだ。あれこれ二ヶ月くらい迷っちまったかなァ」と秋元さんも同調する。







織物を求めて世界を歩き回っている石塚さんが求めたのは、日本人の心にある春の“彩”だったという。







「それは具体的なモノの色ではなく、心象的な彩だと思ったんです。そこで、秋さんには悪いがこれは織りで彩るしかないと決心しました」


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春に挑んだ二人(1)

染めなくて“色”は無し、織りなくて“彩”は無し。武州が誇る染め師と織り師が四つに組んだ。







一切の条件は付けなかった。素材、色、織り…すべておまかせ。そのかわり、これぞ“春の作務衣”の決定版とも言えるものをお願いしたいと武州へ依頼したのである。







途中での試作も見ないという大胆な開発計画であった。見ると口が出したくなる。そうなれば独創性が消えてゆく…。それは、伝統芸術を着る会が進めてきた作務衣開発の過程の中で、春の新作への期待がいかに大きいかを物語っている。







待つこと半年。一本の電話が完成の報を告げた。降り立った武州の里は二月の初旬にも関わらず、ポカポカ陽気。何やら幸先の良さを予感させてくれる。

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本藍染しばり絹作務衣 桐生(ほんあいぞめしばりぎぬさむえ きりゅう)


桐生が問う。本物とは何か――技冴える傑作誕生!

“しばり絣”と本藍染めが生んだ、思わず触れたくなる生地の表情…。




悠久の歴史、絶え間なき研鑽、伝承され続ける職人技…織物と染めの里として世に名を馳せる桐生。

先取りの気性豊かなその地が生んだ技の結晶を注ぎ込み、圧倒的な存在感と格調の高さを併せ持つ作務衣として完成させたのが、当会自信の「本藍染しばり絹作務衣 桐生」です。



写真をご覧いただければお分かりいただけるように、生地全体に刺し子風の凹凸があり、それが本藍染と見事に融和し、たまらない魅力を醸し出しています。



この微妙かつ豊かな表情を生み出すことができたのは、かせ糸を丹念に手作業でくくり本藍染で仕上げるという職人技である「しばり絣」を採用したため。

この技は、くくりの際に生地の出来上がりを想像しながら、微妙な強弱をつけていくという、まさに経験と感性に真打された職人技でなければ成しえない手の込んだ困難なもの。



だからこそ、出来上がった一着には、満々たる誇りを込めて“桐生”の名が冠されているのです。人に会うなら、迷わずこの一着。堂々とまとっていただきたい自信作です。
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桐生の織物――歴史につちかわれた織物の里を訪ねて(2)


工夫と先取の気性から生まれた「桐生織」



桐生は江戸時代から織物都市として発展を見せ、その影響で、堺、京都、近江、名古屋、江戸などの商人、関東、甲信越、能登の職人などが多数行き交い、華やかな桐生文化が形成されてゆきました。



人々の気質は、竹を割ったようなさっぱりとした気性の人が多く、お祭りが大好きでとても陽気。それが先取の精神とあいまって、工夫、改良、発明が盛んとなり、これが桐生の織物の発展の要因のひとつにもなっています。



その創意工夫から生まれた『桐生織』には「お召織」「緯綿織」「経綿織」「風通織」「浮経織」「経絣紋織」「もどり織」という、代表的な7つの技法があり、昭和52年10月、通商産業大臣から伝統的工芸品に認定されています。本誌22ページの右上に掲載されたマーク(伝統証紙)がそのあかし。



認定を受ける条件はなかなか厳しく、



とされ、長い歴史につちかわれた、真の伝統工芸でなければ受けることができない貴重な織であることが分かります。



絶え間なき技術の研鑽により磨かれ続けた「桐生織」。その存在を前にしたとき、装いとしてまとってみたくなるのは、桐生織りが秘めたドラマの成せる技なのでしょうか。
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カタログ和服こぼれ話

桐生の織物――歴史につちかわれた織物の里を訪ねて(1)


伝統と進取の気性が時を紡ぐ、桐生。



ところは関東平野の北部。国定忠治で有名な名峰赤城山を仰ぎ、渡良瀬川と桐生川の清流にはさまれた、風光明媚な織物の里、桐生を今回は訪ねてみました。



はるか昔のロマンスから生まれた桐生の織物



桐生と云えば織物産業が盛んで、世に名を馳せる桐生織物が有名ですが、その起源ははっきりとはしていません。一説では、遠く47代淳仁天皇の時代(一二〇〇年前)に遡ると云われ、こんな逸話が伝えられています。



その時代、桐生在郷の人である山田某が、天皇家に仕える白滝姫を恋慕い、これを歌に呼んだことが偶然天皇の目に留まり、やがて白滝姫は山田某に嫁ぐことを許されました。二人は手を取り合って桐生に帰り、やがて養蚕や機織りにあかるかった白滝姫の手ほどきにより、村人たちがこれを修得したのが桐生織物の始まりと云われています。



元中年間(一三八四~一三九二)には産物として他国へ移出するようになり、これが仁多山絹(にたやまきぬ)と呼ばれたものであったとされ、それ以前には新田義貞が生品の森に兵を挙げ、この絹で旗印をつくって鎌倉幕府を滅ぼしたという非常に運命的なドラマが起こっています。



慶長五年(一六〇〇)、徳川家康が小山にいた軍を急に関ヶ原に返す時、急便を送って旗絹を求めたところ、わずか一日ほどで二千四百疋を集めたとも云われ、江戸時代末期には東洋で最初のマニファクチュア(工場制手工場)の生産形態を確立。



その後ますます、織物の里としての桐生の名は高まり、現在に至っていくのです。

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◆年代で見る和服「作務衣」 , カタログ和服こぼれ話

二部式着物(にぶしききもの)


家庭で着物を着る女性が年々減る一方です。その理由としては、“着付けが大変な上に、帯がきゅうくつで長時間着ていられない”という答えが圧倒的なようです。



そこで開発されたのが<二部式着物>。着物が上下にセパレートされていて、下は巻きスカートのように、上はジャケット感覚で着ることができます。これなら、どなたでも着付けの時間は5分とかかりません。ゆったりとした仕立てで、きゅうくつ感はまるでありません。



伝統的な着物の美しさに、着やすい動きやすいという合理性を加えたこの二部式着物なら、普段着の和服として気軽に着ることができるでしょう。ご主人の帰宅を、この二部式着物で三つ指ついてお迎えになれば…ご主人の嬉しさと驚きの入り混じった表情が、目に浮かぶようですね。



ホームパーティーやちょっとした集まりの時に着用すれば、場の視線はすべてあなたのもの。わずか5分で大変身できるこの二部式着物。ぜひ一度お試しを。

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97~98年の作務衣 , 染&織作務衣

武州交織作務衣 浅緑と羽織(ぶしゅうこうしょくさむえ あさみどりとはおり)

タテ糸に幾度も藍がめをくぐらせながら薄く染め上げた正藍染の糸。これに交わるヨコ糸は蘇芳の黄色を採り込んだ草木染の糸。加えて、太さ細さが不均一な藍紺のスラブ糸。



この三糸を交織技法にて織り上げ彩りとする。







そのさじ加減は織り師の腕と感性。



総じて草を思わせる色合いに、さまざまな表情がこぼれ出る――これこそ交織の醍醐味。







織り師のたくらみに五感をゆさぶられ、そのイメージは限りなく広がってゆく…。







羽織の写真もご覧下さい。淡い草色の広がりを、同系の濃い緑がきりりと引き締めています。羽織としては初めて衿にそって彩りを配しました。



作務衣そのものをさらに奥深く印象的にする羽織――おすすめします。


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武州交織作務衣開発秘話(3)

微妙で味わい深い彩り、横へのアクセントが新鮮!







音沙汰なしで一ヶ月。やっと連絡があり駆け付けました。前回と違い笑顔のたえない石塚さん。これならまちがいなくいい仕上がりと分かります。







見せられた作品は、やはり想像以上の出来栄え。離れて見ると、薄い緑。近くに寄ると黄色や藍色が微妙にからんでいて、織りで彩りや表情を表現する石塚久雄ならではの世界が展開しています。







タテ糸は秋元さん得意の正藍染。ほとんど生成色に薄く染め上げる技術は他の追随を許しません。



ヨコ糸は石塚さんの希望に応じて二種類。太くなったり細くなったりしているスラブ糸を藍紺に染めたものと草木染料<蘇芳(すおう)>で染めた普通糸。この日本の糸をさらに一本ずつ縒って使用しています。







石塚さんが悩んでいた表情づくりはこの二本の糸とタテ糸の交織(種類の異なる糸で織る)でみごとに解決。特に横に走る紺糸のラインがアクセント。これまで縦に流れる縞や柄を見慣れた目にはとても新鮮に映ります。







綿の上下で藍染めによる仕立て――という伝統様式をきちんと守りながら、ここまで新鮮で味のある彩りや風合いを創り出してしまうのですからさすが名職人。



やはり、この武州の名コンビは格が違います。何だか誇らしい気分です。







優しい色合いに似合わずしっかりとした腰のある生地。







「なよなよとした生地は作務衣には合わない。だから一寸当たりの打ち込み数を横は44本にしておいたよ」と石塚さん。







触ってみると、なるほど。しっかりした腰のある感じが伝わってきます。皆様も、お付けした生地見本にてこの感触と微妙な色合い、さらには石塚さんの言うところの“表情”をぜひご確認下さい。







初心に戻っての作務衣作り。伝統を求めることにより得られた新しさを胸を張ってお届けできる喜びはまた格別です。

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武州交織作務衣開発秘話(2)

満を持しての登場!おなじみ武州の名コンビ。







「そろそろ来るころかなと思ってたよ。また難しい問題を抱えてさ…」とニヤリ。



武州藍ひと筋に40年近く、そろそろ70歳を迎えようかというベテラン藍染師の秋元一二さんは相も変わらず飄々として余裕たっぷり。相方のイッサンはすでに試作に入ってるよ、と教えてくれました。







石塚久雄さん。独創的な作風で表彰、受賞は数知れず。創織作家として活躍中。







仕事場を訪れてみると、案の定30メートル単位の試作反物に埋もれて頭をひねっています。秋元さんと共に依頼の件を話すと、まぶしそうにこちらの目を見て「横のラインにアクセントかなぁ…」と意味不明な言葉をぼそり。石塚さん完全に入っています。







「藍と草木の交織でやってんだよ。ホラ、ここまで出来てるがね…」と試作を見せてくれました。いい色合いじゃないですか。というと、くるりと振り返り、ジロリと怖い顔。







「表情が無いんだよ。秋さんの藍糸は文句なし。問題は横に打ち込む草木の糸。何かひとつ決め手に欠けるんだ。もう少し考えさせてくれ…」







こうなったら任せるしかないよ――と秋元さんの目が語っています。


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武州交織作務衣開発秘話(1)

初心に戻り、綿と藍。草木との交わりが生み出す風趣の彩りに、思わずため息ひとつ。伝統様式を踏まえた一着。そこに新しい何かを…。







「サマーウール、ジュンロン、コーデュロイ、スエード…伝統芸術を着る会の巻等新作は横文字が多いね」という声が寄せられます。それは批判というよりも、よく頑張ってるね――という内容なのですが、やはり少し気にかかるものです。







確かに、作務衣の開発を積極的に進めていけば必然的に、このような素材の導入は起こり得ることで、時代や機能に即応した作務衣づくりとしては、当会ならではの仕事と胸を張れます。しかも、これらの作務衣がすべて会員の皆様に好評なのですから…。







ただし、ひとつだけ肝に銘じておきたいことがあります。それは、新しい作務衣の開発に気をとられ、古き佳き装いとしての伝統様式の見直しをおろそかにしてはいけないということです。







初心忘れるべからず…。そういうことです。10年ひと昔、まさにその機至れり。







というわけで今回の巻頭新作は作務衣の伝統様式をしっかりと踏まえた一着にしたいと考えました。もちろん、ただ昔のまんまというわけではありません。そこに新しい何かを、そうプラスアルファを加えた作務衣づくりを目指しました。







そうなると、作り手はあの二人しかいません。




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